適応障害で揺らぐ私の日記

適応障害で休職中。26歳OL。だいたい1年くらい休んでる。復職か退職かで揺らぐ日々の日記。

花束みたいな恋をしてみたい。その前に生き方を見直すことにした。

 

 

先日、私は昼過ぎからスタバで本を読んでいた。

集中したい時はファミレスとかチェーン店系カフェによく行く。

適度なザワザワ感が落ち着く。

 

夕方、学校が終わったんだろう。後ろの席に高校生が座った。

女子2人組。会話が途切れることなく続く。

私はカフェでの人の話し声とかはBGMとする人間なので、話し声はただの音とリズムを刻むもの。小さなそれが集まったザワザワ感が集中の源だ。

ただ、流石によく通る2人の声に、集中力が切れてしまった。

ま、いっか。カフェってそういう場所だし。きり良いから続きは家で読むことに。

 

本を片付けた私はスマホゲームをする。

すると1人が、映画「花束みたいな恋をした」を観たことを話し始めた。

話し声=BGMな私だが、その内容にはセンサーが反応し聞き耳をたてた。

何でかって、私も公開後すぐ観に行っていたのである。

 

どうやら、もう1人はまだ観に行ってない様子。

ネタバレしない程度にオススメしつつ映画について色々話していた。

そして映画を観た方の子が言った感想が

「観ていて楽しいんだけどなんか複雑な気持ちになった」である。

 

私はそれを聞いてびっくりした。

楽しいのはわかったけど、なんで複雑な気持ちになるの?

 

映画のクライマックスで、こんなシーンがある。

主人公の2人が付き合うきっかけになったファミレスで別れ話をするシーン。

告白をしたあの時の席には別の若い男女がいて、

かつての自分たちの姿と重なり2人は泣いてしまう。

 

私は大抵の映画で登場人物が泣いていると釣られて泣いてしまう共感人間だけど、

この映画の涙には共感できなかった。

主人公たちがどういう感情で泣いてるのか分からなかった。

 

どうして共感できないのかは理解している。

私は25年の人生で誰かと交際をした経験がないのだ。

告白して喧嘩してすれ違って別れるという中にある感情を経験したことがない。

だから、交際したことのある人がこの映画に感じる共感を私は味わえなかった。

 

私が感じたのは、こんなことだけ。

あんな奇跡のような出会い方をして、毎日2人でする何もかもが楽しくて幸せな恋愛経験をしてみたいな。途中から辛そうだけど、それを含めて恋愛の過程だろうし、結ばれなくてもこういう経験をしたら人は強くなれるんだろうな。

私も、花束みたいな恋をしてみたいな。

 

だから、高校生が複雑な感情を持てる恋愛をしているだろうに、

社会人の私は恋愛を知らないから浅い感情しか持てなかったというこの状況が、

ものすごく情けなかった。これまで無頓着に生きてきた自分の人生に後悔した。

 

私は自分の殻のなかでマイペースに好きに生きてきて満足していたつもりだったが

あちこちに散らばっていた、成長するチャンスを大量に失っていたのだ。

ああ、もったいない。

過去の経験が未来の自分を作るとはこのことか。25歳にしてようやく身に染みた。

  

今の行動が30代の私を作っていくのならば、

面倒くさいからご飯の誘いは断るみたいな事もうやめよう。

覚える事が多い仕事は面倒で嫌だから、簡単な仕事を探すとかもやめよう。

とりあえず、その時やっていたスマホゲームはすぐ閉じた。

 

「花束みたいな恋をした」を観て共感は得られなかったけど、

生き方を見直すきっかけを得られた。

いつか私も誰かと恋をして別れたりしてから、改めてこの映画を観たいと思う。